“違法”<性同一性障害でゴルフ場入会拒否事件>【真栄里孝也 行政書士事務所 in 沖縄】

2014年9月13日 0 投稿者: 行政書士 真栄里 法務事務所

約2000字(読了≠3分)

事件のあらまし

朝日新聞の記事によると静岡県内の会社経営者がゴルフ場側に入会に必要な書類や戸籍謄本を提出したところ、運営クラブの理事会は性別変更(男性→女性)を理由に入会を拒否したので、その会社経営者(原告)がゴルフ場の経営会社と運営クラブなどを相手に損害賠償を求めた、というものでした。

法的構成は?

判決文がまだ公開されていませんが、ゴルフ場は民間企業ですので、不法行為に基づく損害賠償請求(民法709条、710条)です。

静岡地裁の判決は?

判決は、入会拒否行為に違法性を認め、原告(会社経営者)の精神的損害に対する賠償を肯定しました(上記朝日新聞の記事参照)。

判決の理由は?

「性別に関する自己意識を身体的にも社会的にも実現してきたという原告の人格の根本部分を否定した」と指摘。性同一性障害が本人の意思に関わりなく生ずることなどから、法の下の平等を定めた憲法14条などの趣旨に照らして「社会的に許容しうる限界を超え・・・」

る、というものでした。

法的な分析

法的問題点

この事件で問題となったのは、判決が

原告の人格の根本部分を否定した

としていることからすると、「名誉を侵害した」(民法710条)かどうかだろうと思います。
特に、上記入会拒否行為が名誉権を「侵害した」かどうかが問題となっています。

「侵害した」の意味は?

民法では、権利侵害は、被侵害利益の種類と侵害行為の態様との相関関係で判断されるとの理解がまだ強いといえます(最近は議論が動いていますが・・・)。
“侵害行為の態様”とは、つまり公序良俗違反の程度などです。
“公序良俗”とは、“こうじょりょうぞく”と読みます。
公の秩序と善良な風俗
のことです。

性別変更を理由に入会を拒否する行為は公序良俗に反するか?

本件の最大の問題点です。
性別変更を理由にもし国家が同じような行為をしたらどうなるでしょうか?

国営のゴルフクラブがあると想定してみてください(実際にはありませんが・・・)。

「性別・・・により・・・差別されない」(憲法14条1項)という憲法の平等原則に反し違憲となります。

ところが、本件では・・・

ところが本件では、ゴルフ場は民間企業が運営する会社にすぎません。
憲法は、国家に適用される法ですから、民間vs民間の事件である本件に憲法がストレートに適用されることはありません。
ということは、上記行為(性別変更を理由に入会を拒否した行為)が違憲になることはありません。
NHKニュース&スポーツの見出しが
”性別変更理由のゴルフクラブ入会拒否は「違憲」”
として、
「違憲」
と表記していることは、ミスリーディングな表記ということになります。

それでも・・・

それでも、本件で静岡地裁は、
”法の下の平等を定めた憲法14条などの趣旨に照らして「社会的に許容しうる限界を超えて違法”
であるとして、本件で憲法14条を持ち出しています。
これは正しいのでしょうか?

正しいのです

ゴルフクラブと入会を拒否されて会社経営者はともに私人(民間人)です。
民間人の間で憲法が問題になることを
“憲法の私人間効(しじんかんこう)”
といいます。
違法といえるか否かを判断する際に、憲法14条の趣旨を考慮するということです。

″平等”の根っこは?

”平等”とは、人格の根源的平等のことです。
他者から見るとつまらないように見える価値観であったとしても、1人の人間として扱い決して蔑視しないこと、それが”人格の根源的平等”の意味です。
もう一度、地裁の判決文を見てみます。

「性別に関する自己意識を身体的にも社会的にも実現してきたという原告の人格の根本部分を否定した」

つまり、性別に関する自己意識についての原告の人格の根源的平等をゴルフ場側が否定したということです。
今でも、一般的には性別変更をした人は偏見に晒されています。
その偏見は、つまり変な人だという烙印(stigma)です。
それは、性別変更した人を一人の人間として扱わない態度の表れです。
この態度はまさに原告の人格の根源的平等をゴルフ場側が否定したことを意味します。
原告を一人の人間として扱わないゴルフ場側のこの態度は、人格の根源的平等を規定する憲法14条の趣旨に照らすと違法だと地裁は判断したことになります。

おわりに・・・

私人は国家権力とは違って憲法の名宛人ではないですから、いかなる思想を持つのも自由です。たとえ、極端な人種差別主義者であったとしても内心にとどまる限りは憲法上保障されます(思想良心の自由・憲法19条)。
しかし、その思想が行動として表れると話は別です。
理解できない相手を排除するのでは世の中は紛争だらけになってしまいます。
相手を一人の人間として平等に扱うことができる世界になると良いですね、いや、相手を一人の人間として平等に扱うことができる世界にしたいですね。