発端はバスティーユ牢獄襲撃事件でした~憲法改正・憲法解釈変更議論の基礎の基礎の基礎 (3)~
2014年7月27日フランス人権宣言
約1500字(読了≒2分30秒)
- Taka
 - 平民(第三身分)は自分たちの意見を取り入れてもらうように“三部会”で議論をしましたが、上手くまとまりませんでした。
そこで、有名な事件が起こってしまったのです。 - RIE
 - なんですか?
 - Taka
 - 1789年7月14日の“バスティーユ牢獄襲撃事件”です。
 - RIE
 - え?
“ミルフィーユ”の仲間かなんかですか? - Taka
 - ・・・
続けます。
バスティーユ牢獄には主として政治犯が閉じこめられていました。
政治犯ですから、当時の王権に反対した人たちです。
第三身分の人たちは、その牢獄を襲ったのです。 - RIE
 - そうなんですね。
でも王宮ではなく、何故牢獄を襲ったんですか? - Taka
 - それは、バスティーユ牢獄は“絶対王政”の象徴だったからだよ。
 - RIE
 - “絶対王政”ってナンですか?
 - Taka
 - 王様が絶対的な権力を行使した、ということだよ。
 - RIE
 - 権力というのはそもそも絶対的なものじゃないんですか?
 - Taka
 - 良いとこをつくねぇ。
 - RIE
 - そうですか!?
RIEって天才ですかね? - Taka
 - いや、“天才”なんて一言も言ってないけどね。
 - RIE
 - いやいや、先輩の本心を読んで、意訳したんですよ。
RIEは人の気持ちを読むの得意ですから。 - Taka
 - ふ~~ん
ともかく、“絶対王政”下のもとでは、王様は民の意見を聞くことなく自由に自分が思うように税金を取り立てたり徴兵することができたんだ。
王様の独断での権力行使が認められたというのが、“絶対王政”の特徴なんだ。 - RIE
 - 王様が独断で権力を行使できたんだ。
凄い時代だったんですね。 - Taka
 - そういうこと。
話を続けます。
“絶対王政”の象徴だった“バスティーユ牢獄を襲撃したことがフランス革命の発端でした。
その後は、ルイ16世やマリーアントワネットはギロチンで斬首刑にされて死亡しました。 - RIE
 - その話は有名なのでRIEも知ってました。
残酷ですね。
でも、平民はそれだけ“絶対王政”に怒っていたということなんですね。 - Taka
 - 以上で、歴史的な話は終です。
私の話の邪魔をしながらも最後まで話を聞いていただきありがとうございました。 - RIE
 - “邪魔”はしてませんよ!
質問しただけです。
ところで、この先輩の話が『憲法とは何か?』とどういう関係があるんですか? - Taka
 - 分からない?
 - RIE
 - は・・・い。
 - Taka
 - あっと、そうだ“フランス人権宣言”の話を忘れていたよ。
バスティーユ牢獄襲撃事件の1ヶ月ちょい後の1789年8月26日に
“フランス人権宣言”が採択されたんだ。
これが、その後の憲法の基になっている。
たとえば、次のような規定がある。
第7条(適正手続と身体の安全)
何人も、法律が定めた場合で、かつ、法律が定めた形式によらなければ、訴追され、逮捕され、または拘禁されない。
恣意的(しいてき)な命令を要請し、発令し、執行し、または執行させた者は、処罰されなければならない。
第8条(罪刑法定主義)
法律は、厳格かつ明白に必要な刑罰でなければ定めてはならない。
何人も、犯行に先立って設定され、公布され、かつ、適法に適用された法律によらなければ処罰されない。
第13条(租税の分担)
公の武力の維持および行政の支出のために、共同の租税が不可欠である。
共同の租税は、すべての市民の間で、その能力に応じて、平等に分担されなければならない。
第14条(租税に関与する市民の権利)
すべての市民は、みずから、またはその代表者によって、公の租税の必要性を確認し、それを自由に承認し、その使途を追跡し、かつその数額、基礎、取立て、および期間を決定する権利をもつ。 - RIE
 - すいません、先輩難しいです。
もっと易しく、日本語が分からない人でも理解できるように説明してください。 - Taka
 - え~~!
 
---次話へ続く---
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