モダンvsポストモダン(憲法記念日)
2016年5月3日約1,800字(≒読了3分)
目次
5月3日は、憲法記念日です
本日、5月3日は憲法記念日です。
毎年憲法記念日はやってきますが、今年の憲法記念日は特に重要な日になるでしょう。
安保関連法案成立後、初めての憲法記念日ですから。
憲法をめぐる議論では、日本の今後100年をどう設計していくのかが国民に問われています。
そもそも憲法とは?
そもそも憲法は、絶対王政を倒したフランス革命により誕生しました。
国家権力を縛る装置としての憲法の誕生です。
暗黒時代と言われた中世に終止符を打った考え方が、近代合理主義です。
近代合理主義とは、簡単に言いますと、神ではなく、人間の理性を重視する考え方です。
近代合理主義により、神・教会中心の世界(中世)から人間中心の世界(近代=モダン)に人類は移行しました。
近代(モダン)に誕生した憲法の特徴は、国家権力を縛る(国家敵視観)、という点にあります。
要は、国家権力を信用してはいけないということです。
憲法が誕生した背景を考えると近代の憲法が意図したことはよくわかると思います。
絶対的な権力を持つ王様が贅沢の限りを尽くすために、国民から厳しく税を取り立て、その厳しさのあまり餓死する人々もいた時代です。
そういった時代を生きていた人々にとっては、国家権力を信じることはできなかったはずです。
そこで、国家権力をいかに縛るかについて知恵を絞った結果登場したのが、近代「憲法」です。
まずは、近代「憲法」がそういった歴史的背景を持っていることを想像し、理解することが重要だと思います。
ポストモダン
近代の始まりが、1789年(フランス革命)だと仮定すると、その近代が始まってから現在まで、227年経過しました。
近代憲法により「国民主権」になり、国家権力を構成する人々(統治者)は、選挙により民主的に選ばれています。
中世の絶対王政の下では、国王は人々により選ばれたわけではありませんから、国家権力のあり方が、180度転換したわけです。
国民が統治者を選んでいるわけだから、統治者は主権者たる国民に不利益なことはしないはずだ、だから、もはや国家権力を縛る必要はないのではないか?という発想が出てくるのもうなずけます。「ポストモダン(近代後)」の登場です。
ポストモダンは、近代の国家敵視観から生じた不都合を解消するために登場した発想です。
つまり、近代の国家敵視観の下では、国家権力は、国防、警察などに集中し、国民の生活関係に関与すべきではないと考えられていました(夜警国家観)から、国民は国家権力の干渉を受けることなく自由に経済活動をすることができました。
その結果、富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなっていきました。貧富の差の拡大です。
現在の比ではなかったと思います。近代の国家敵視観の下では国家は国民の生活関係に関与すべきではないのですから、国家は貧者を助けません。その結果、貧者はそのまま死んでいったのです。
そういった時代背景の下で、貧者を国家が助けるべきだ、と主張する人々が登場し、その思想として、「ポストモダン」が登場したのです。
歴史的にも、労働者と経営者が鋭く対立し世界の様々な国々で労使間の闘争、労働者による革命が起きたのもこの時代でした。
憲法観の違い
「近代」と「ポストモダン」では憲法観が大きく違います。
その違いが現在の憲法改正議論の背景にあります。
近代の憲法観
近代の国家観は国家を敵視する点にありますから、近代の憲法観は、上に書いたように、国家を敵視した憲法観です。
つまり、国家権力を縛る装置としての憲法という理解です。
ポストモダンの憲法観
対して、ポストモダンにおいては、国家が国民に手を差し伸べる国家観(福祉国家観)ですから、その憲法観は、国家と国民の融合にあります。
憲法観の違いと憲法改正議論の背後にある考え
「近代」の憲法観と「ポストモダン」の憲法観が鋭く対立しているのが、現在の憲法改正議論です。
誤解を恐れずに単純化しますと、
国家=悪(近代)
国家=善(ポストモダン)
という図式になるかと思います。
どちらの立場に立つのかで、憲法改正議論の筋道が大きな方向で決まってくる面があります。
国家の設計図としての憲法
今後100年、日本国をどう創っていくのか?
どういう憲法観を採用するにせよ、憲法は、国家の設計図と言えますから、今後100年を見据えて国家の設計図、つまり憲法を考えていく必要があると思います。
私も一国民として考えていきたいと思います。