忘れられる権利(Right to be forgotten)とは?
2014年8月25日約2400字(読了≒4分)
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忘れられる権利とは?
“忘れられる権利”(Right to be forgotten)とは、インターネットに公開された自分に関する情報を削除するようインターネット事業に要求することができる権利のことをいいます。
2014年5月13日にEU司法裁判所がこの権利に基づきGoogleにリンクの削除を求める判決を出したことをきっかけに日本でも有名になりました。
日本でも・・・
京都地裁2014年8月7日判決
つい最近、日本でもEU司法裁判所に提起された事件と似た事件についての判決がありました。
この事件で原告は次の請求をしていました。被告はヤフー株式会社です。
- 名誉権侵害、プライバシー権侵害により被った損害1100万円の不法行為に基づく損害賠償請求
- 人格権に基づき、原告が逮捕された旨の事実の表示及び同事実が記載されているウェブサイトへのリンクの表示の差し止め請求
この判決は、結論として名誉権侵害もプライバシー権侵害もないとして原告の上記全ての訴えを棄却しています。
京都地裁判決の理屈
名誉権侵害について
<不法行為の構成要件該当性について>
名誉権侵害が成立するためには、(人の社会的名誉を低下させるだけの)事実の摘示があったことが必要となります。
京都地裁判決では、検索結果の表示がそもそも事実の摘示にあたるかを検討しています。
結論としては、
「被告が本件検索結果の表示によって摘示する事実は、
- 検索ワードである原告の氏名が含まれている複数のウェブサイトの存在
- URL並びに当該サイトの記載内容の一部という事実
であって、被告がスニペット部分の表示に含まれている本件逮捕事実自体を摘示しているとはいえない」
として名誉権侵害はなかったと判示しました。
<不法行為の違法性阻却について>
ただ、この判決は、
「仮に、被告に本件検索結果の表示による原告への名誉毀損が成立すると解する場合、その違法性が阻却されるかどうかにつき検討する。」
として違法性阻却の可否を検討しています。
違法性阻却の要件は
- 事実の公共性
- 目的の公益性
- 真実性の証明
です。
1については、
- サンダルに仕掛けた小型カメラで女性を盗撮したという特殊な行為態様の犯罪事実に係るものであり、社会的な関心が高い事柄であるといえること
- 原告の逮捕からいまだ1年半程度しか経過していないこと
を理由に摘示された事実(リンク先サイトの存在、URL並びに当該サイトの記載内容の一部)は、公共の利害に関する事実に係る行為であると判断しました。
2については、
「一般公衆が、本件逮捕事実のような公共の利害に関する事実の情報にアクセスしやすくするという目的が含まれていると認められるから、公益を図る目的が含まれているといえる。」とし、2目的の公益性を肯定しました。
3については、
「本件逮捕事実は真実である。」として3真実性の証明も肯定しました。
以上から、京都地裁は違法性が阻却されると判断して、原告の名誉権侵害を理由とする不法行為に基づく損害賠償請求を棄却したのです。
プライバシー権侵害について
仮に本件検索結果の表示による被告の事実の摘示によって原告のプライバシーが侵害されたとしても、
- 摘示されている事実が社会の正当な関心事であり、
- その摘示内容・摘示方法が不当なものでない
場合には、違法性が阻却されると解するのが相当である、として、結論として違法性が阻却され不法行為は成立しないと判示しました。
京都地裁の基本スタンス
京都地裁の判決内容を見ると、“忘れられる権利”についてはまったく触れられていないことが明白です。あくまでも
- 名誉権侵害があったか、
- プライバシー権侵害があったか
を既存の法律(不法行為・民法709条)に基づき淡々と処理したわけです。
EUでは・・・
これに対してEUではどうだったかと言うと、冒頭に述べたとおり、“忘れられる権利”を根拠にGoogleにリンクの削除を求める判決を出しました。
EUと日本との違いの理由は?
明文化の有無
一言で言うと、“忘れられる権利”が明文で規定されているか否かの違いです。
EUでは、「一般データ保護規則案」が提案され、その17条で“忘れられる権利”が明文化されています。
しかし、日本では、“忘れられる権利”を明文化した法律などはありません。
その違いが大きいかと思います。
ただ、日本でも・・・
ただ、日本でも“忘れられる権利”に似た権利がありはします。
それは、“情報プライバシー権”(=自己情報コントロール権)という権利です。この権利は、「自己に関する情報をコントロールする権利」(芦部信喜[著]高橋和之[補訂]『憲法(第五版)』<岩波書店、2011年>122頁)のことです。
具体的には、“情報プライバシー権”によれば、
「個人が自己に関する情報を自らコントロールし、自己の情報についての閲読・訂正ないし抹消請求を求めること」(芦部:122頁)ができます。
この権利を根拠にすれば、自己情報の抹消請求をすることができるのです。
もっとも、この権利は、「個人に関する情報(個人情報)が行政機関によって集中的に管理されているという現代社会において」(芦部:122頁)主張されてきた権利ですから、あくまでも対国家権力を視野に入れた権利であって、私人間同士(個人と私企業など)を直接の視野に入れた権利ではないので、“情報プライバシー権”を私人間でそのままで使うことができないのです。
今後の日本は?
日本では、既に“情報プライバシー権”(=自己情報コントロール権)という概念があるので、その権利の内容を詰めて対国家権力のみならず、対私人間でも使えるように議論を深めていけば良いのではないでしょうか?
いきなり“忘れられる権利”を議論するよりも、EUでの“忘れられる権利”を念頭に置きつつ“情報プライバシー権”の議論を詰める方が効率的にも良いかと思います。