ろくでなし子

「ろくでなし子」事件-芸術家とは?-

2014年12月20日 0 投稿者: 行政書士 真栄里 法務事務所

約2300字(読了≒4分)

事件のあらまし

 女性器をかたどった「作品」を陳列したとして、わいせつ物陳列罪(刑法175条1項)でろくでなし子容疑者(他1名)が逮捕された、という事件です。

“わいせつ”って何?

 刑法、憲法では、わいせつとは、

徒に性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう

とされています(最高裁昭和32年3月13日大法廷判決)。
つまり、

  1. 性欲を興奮、刺戟させ
  2. 性的羞恥心を害し
  3. 善良な性的観念に反する

ものです。

芸術とわいせつ性

 これについても判例があります。
上記、最高裁昭和32年判決でも、芸術性とわいせつ性について次のように述べています。

芸術性と猥褻性とは別異の次元に属する概念であり、両立し得ないものではない。

ただ、

高度の芸術性といえども作品の猥褻性を解消するものとは限らない。

加えて、

猥褻性の存否は純客観的に、つまり作品自体からして判断されなければならず、作者の主観的意図によって影響さるべきものではない。・・・作品の誠実性必ずしもその猥褻性を解消するものとは限らない。

とされています。
 捜査機関は、この判例のわいせつ概念に則って、「ろくでなし子」容疑者が作成した作品を「わいせつな・・・物」(刑法175条1項)と認定し、彼女を逮捕したわけです。

芸術・芸術家の位置づけ

 ここで私が考えてみたいのは、“わいせつとは何か?”ということではありません。
芸術や芸術家という存在が、社会において

  1. どういう役割を担っているのか?
  2. どういう役割を担うべきなのか?

ということです。
まずは、
1 どういう役割を担っているのか?から検討したいと思います。

芸術・芸術家が社会において、どういう役割を担っているのか?

芸術とは?

 芸術とは、

特殊な素材・手段・形式により、技巧を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動、およびその作品。

とされています(松村明[編]『大辞林(第三版)』(三省堂、2006年))。
そして、“美”とは、

感覚、特に視聴を媒介として得られる喜悦・快楽の根源的体験のひとつ

とされています(ブリタニカ百科事典)。
 簡単にまとめると、
“芸術”とは、喜悦・快楽を創造・表現すること(およびその作品)、
ということになります。

社会への挑戦

 芸術が喜悦・快楽を創造・表現すること、だとすると、芸術は社会への挑戦という側面を持ってきます。
なぜなら、ある時代・ある国では、許される快楽と許されない快楽が必ずあり、その時代・その国では許されない快楽を創造・表現することを“芸術”概念は含んでいるからです。
 中世の絵画はキリスト教一色で平面画でしたが、14世紀のルネッサンスになると“遠近法”が誕生し、世界の見方が一変しました。
芸術には世界の見方を一変させる力があるといえます。これ以降、科学技術が著しく発達して今の人類の繁栄があります。
ルネッサンスは、中世の物の見方、中世のタブーへ挑戦する試みだったといえます。
 このことからも明らかなように、芸術は、社会(タブー)へ挑戦する1つの手段であったわけです。
快楽を創造・表現することを通じて、芸術は社会のタブーを打ち破る役割も果たしてきたといえます。

芸術・芸術家が社会において、どういう役割を担うべきなのか?

 芸術・芸術家がこれまで、社会のタブーを打ち破る役割を果たしてきたという“事実”から、芸術・芸術家がこれからどういう役割を果たすべきか?という“価値判断”はストレートには導かれません。
 しかし、芸術概念が上述のように、喜悦・快楽を創造・表現することであるとすると、その時代・その国では許されない快楽を創造・表現すること“も”、芸術・芸術家の役割としてこれからも求められていくと思います。

「ろくでなし子」事件の扱い方

 以前、禁止規範に理由はない、“信仰だ”という記事を書きました(「殺人は何故、悪いことなの?」)。
 そうしますと、わいせつ物陳列罪(刑法175条1項)という禁止規範も1つの信仰です。「ろくでなし子」容疑者は、女性器をかたどった作品を陳列することで、わいせつ概念が単なる“信仰”に過ぎないのだ、ということを訴えたのだと思います。男性器をかたどった物はいくらでもアダルトショップに並んでいますが、それがわいせつ物陳列罪にあたるとの議論はあまりありません。少なくとも逮捕者は出ていないと思います。「ろくでなし子」の作品がその物とどう違うのか?よく分かりませんが、彼女の作品はわいせつ概念にあたると判断されたわけです。その判断に合理的な理由があるのでしょうか・・・?禁止規範が“信仰”であることの一証左にはなるかと思います。
 捜査機関がわいせつ物陳列罪容疑で「ろくでなし子」容疑者を逮捕したということは、国家が1つの信仰を個人に押しつけたともいえます。国家は、秩序維持のための装置ですから、私としては今回の事件について、捜査機関が彼女を逮捕した行為についてとやかく言うつもりはありません。
 しかし、1つ注意しておきたいのは、この事件を通じて芸術や芸術家を排除する動きが出てこないかどうかです。
 そもそも、芸術が社会のタブーを打ち破る役割を果たしてきて、それによって人類が多大な利益を得てきていることは先ほど挙げましたルネッサンスの事例でも明らかだと思います。これからも芸術はそういう役割を担っていくべきだろうと私は考えていますので、異端の芸術であってもその芸術を抹殺しない寛大な対応を心がけて欲しいと思います。