敬虔なカトリック教徒と解釈技術
2014年7月9日約1300字(読了≒2分10秒)
目次
カトリック教徒
カリフォルニアに出張中、敬虔なカトリック教徒の方に会いました。
前ローマ教皇のベネディクト16世や現教皇のフランシスコ教皇の写真が家に飾られていました。
両手を合わせて拝む姿を見ると、日本人と同じだなぁと思いました。
その方は、水彩画を描いていて、その売上げ全てを貧しい人に寄付しているということでした。
とても熱心なカトリック信者です。
政治・同性婚の話はタブー?
熱心なカトリック信者である彼は、また熱心な共和党支持者でもありました。
その彼にオバマ大統領のことを聞くと一言
「No」
オバマの話はしたくない、その話をしたら心臓に悪いと言っていました。
もちろん、「同性婚」も「No」です。
信じている人にはそうなんだなぁ、と思いました。
聖書には・・・
ところで、憲法判例で「エホバの証人」がよく出てきます。
「エホバの証人」は輸血禁止を1つの教義として持っているわけですが、聖書のどこに書いてあるのだろうと疑問に思い新約聖書を調べてみました。
そうしたら、「地をむさぼってはならない」という一文がありました。
その文章を輸血禁止と解釈しているのかも知れませんが、全てのキリスト教がそういう解釈をしているわけではないようですから、聖書は解釈されるのだなと思います。
そもそも、カトリックとプロテスタントの対立は聖書の解釈の仕方の違いから生まれていますから、歴史的にも聖書は解釈されてきたわけです。
法律解釈と似ている
聖書解釈は法律解釈と似ていると思います。
カトリック教会は、1996年にローマ教皇のヨハネ・パウロⅡ世が、「肉体の進化論は認めるが、人間の魂は神に創造されたものだ」と述べました。
このとき私は大学生でしたが、この解釈の仕方に素直に感動したことを覚えています。
内容にではなく、その解釈の仕方についてです。
カトリック教会にも切れ者がいるんだなと思いました。
同時に、聖書の解釈も法の解釈も解釈技術としては同じだなと思いました。
行政書士に法解釈は必要か?
私は、行政書士です。行政書士といえば、役所への許認可申請を思いつく方が多いだろうと思います。
沖縄は建設業社が多いですし。
そして、単に書類を代筆で書くだけというイメージもまた強いのではないでしょうか?
たしかにそういう仕事も多いです。
しかし、そういった仕事であっても、提出書類が何で、そこには何を書くのか?何故それを書く必要があるのか?
を理解することが出来るか否かは仕事をする上で大きな違いがあるように感じます。
「法による支配」の下では、求められる書類には法律上の根拠がないとまずいわけですから、我々行政書士も法律をしっかりと理解する必要があるのです。
また、そうでなければ、依頼人に適切にアドバイスをすることができないと思います。
もっとも、プロとはいえ全てを知っている人はまずいません。
裁判官でさえ、すべての法律を知っているわけではないのです。
知らなくても、調べることが出来るかがプロとアマを分けるポイントであろうと思います。
調べるには、法律の趣旨が分からなくてはなりませんから、行政書士も一定の法解釈能力は必要だと思います。
プロの行政書士として日々の鍛錬を怠らないよう努力したいと思います。