経団連と企業献金についての問題分析
2014年11月19日約3700字(読了≒6分)
目次
企業献金とは?
支持する政党に対して企業が金銭を献上することを、『企業献金』といいます。
企業献金の簡単な歴史
企業を束ねる経団連は、戦後、企業や団体に献金額を割り振る「あっせん」を続けていました。
しかし、ゼネコン汚職などを受けて1994年に企業献金を中止しました。
その後、税金による政党交付金が導入されました(政党助成法)。
2013年度の政党交付金額はおおよそ、下のようになっています(ウィキペディア。小数点第1位を四捨五入しています)。
- 自由民主党
→146億円 - 民主党
→85億円 - 日本維新の会
→27億円 - 公明党
→26億円 - みんなの党
→18億円 - 生活の党
→8億円 - 社会民主党
→5億円 - 国民新党
→2億円 - みどりの風
→1億円 - 新党改革
→1億円
企業献金が減少し、政党交付金が現在は増えています。
「自民党本部の場合、年間収入140億円の1割ほど」
が企業献金で、
「政党交付金が約7割」
を占めているようです(読売新聞社説2014年9月10日から引用)。
この企業献金を巡って各新聞社はどう言っているのでしょうか?
- 読売新聞
- 朝日新聞
- 毎日新聞
の社説を比較してみたいと思います。
各紙の比較
読売新聞
「企業の政治参加を促す契機に」
という表題の下に、書き出しは次のようになっています。
日本経済再生に向け、経済界と政治が連携を強化する契機としたい。
そして、
経済の主役である企業が、ルールを守った透明な献金を通じ、政治に参加する意義は大きい。
そして、
政党への企業献金は激減し、自民党本部の場合、年間収入140億円の1割ほどだ。代わりに政党交付金が約7割を占める。
と、政党交付金が政党資金のかなりの比重を占めていることを指摘した後で、
政党の運営費を、政治が使途を決める税金に、過度に依存する現状は問題が多い。企業や個人による献金の比率を高める方策を考えたい。
と主張し、企業献金に積極的な論調となっています。
ここで、読売新聞は、会員企業が自主的な判断に基づく政治献金をするための判断材料として、政党の政策評価を示す方針を経団連が示したことについて、
経団連による政策評価の位置づけがあいまい
であると批判しています。
榊原経団連会長が
「献金と政策評価はリンク(関連)させない」と説明した
ことが献金をする企業にとって分かりにくいとの批判です。
献金と政策評価をリンク(関連)させないのでは、
多くの企業が対応に迷い、献金をためらうのではないか。
として、榊原会長の説明に疑問を示しています。
結びは、
重要政策で主要政党がどのような主張を展開し、実現を図ってきたのか、分かりやすい評価を示す。それを目安に献金を検討するよう企業に働きかける。そうした明快な対応を取るべきだ。
となっています。
つまり、政策評価を企業献金の基準とすべきだ、というのが読売新聞の主張です。
朝日新聞
「民主政治に資するのか」
という表題の下に、
自由主義、民主政治を守り、議会制民主主義を発展させるにはおカネがかかる。それを負担するのは企業の社会的責任であり、政治献金は社会貢献だ―――。
という榊原定征・経団連会長の記者会見での説明を引用し、その説明に説得力があるかを検討しています。
その書き出しからして、企業献金に否定的な論調が明らかです。
具体的には、
献金の判断を、
「各社の自主判断」と言いながら、経団連の主張に照らして各党の政策への評価を示す。企業重視の「アベノミクス」への全面支持も表明していることを踏まえれば、民主政治のためというよりは、特定の政策がほしいだけではないのか。
と分析して、「自由主義、民主政治を守る」という主張を否定しています。
また、
企業がもうかれば国民も豊かになる。そんな図式が崩れていることは、国民自身がよくわかっている。多額の手元資金をため込みながら政権に言われるまで賃上げを渋った企業が目立ったことでも明らかだ。
と分析して、企業献金が国民のためにならないと主張しています。
結びは、
経団連の関与が民主政治にどう資するのか。そこがわからない。
です。
毎日新聞
「社会貢献とは言えない」
という表題の下に、初めに次の主張をしています。
大きな経済力で政治に影響力を及ぼすことは、健全な民主主義をゆがめるおそれがあり、政治改革に逆行する。時代錯誤の旗振りはやめるべきだ。
また、政党交付金が
企業献金全廃を前提にした代償措置だった。
という政党交付金の由来を述べた後に、
自民党への企業献金拡大は、同党の「二重取り」を増やす結果になる。
とし、
結びは、
政治不信を招きかねない献金は社会貢献とは言えない。
と一刀両断で切っています。
企業献金は法的に問題があるのか?
表現の自由(憲法21条)
ここで、舞台を法に移してみます。
企業献金は法的にはどう扱われているのでしょうか?
前提問題は2つです。
献金は人権なのか?
結論から言いますと、政党への献金は、金銭の交付を通じて自己の政治的意思を表明するものとして、「表現の自由」(憲法21条1項)で保障された人権と解されています。
企業は人権を行使することができるのか?
いわゆる「人権享有主体性」の議論です。
“人権”とは人の権利のことですが、企業は我々のような生身の肉体を持つ存在ではありませんから、そもそも人権を行使する主体ではないのではないか?という疑問がありはするのですが、企業(法人)も人権享有主体であることは一般的に肯定されています。
判例は?
政党への企業献金が問題となった事件があります。
「八幡製鉄事件」(最大判昭和45年6月24日)
がそれです。
事案
八幡製鉄株式会社(現在は新日鐵住金株式会社)の代表取締役が同社を代表して自由民主党に政治献金として350万円を寄付しました。
これに対して、同社の株主が、その寄付は、同社の定款に定められた事業目的(鉄鋼の製造および販売ならびにこれに附帯する事業)の範囲外の行為であるとして、取締役の責任を追及した事件です。
法的問題
- 政治献金は八幡製鉄の事業の目的の範囲内か否か?
- 政治献金は自然人にのみ認められている参政権を侵害し公序良俗に反し無効(民法90条)であるか?
の2点が問題となりました。
判旨
1については、次のように判示しました。
会社による政治資金の寄附は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためになされたものと認められるかぎりにおいて、会社の定款所定の目的の範囲内の行為である
としました。
つまり、1政治献金は八幡製鉄の事業の目的の範囲内だと判示しました。
2については、次のように判示しました。
会社が、納税の義務を有し自然人たる国民とひとしく国税等の負担に任ずるものである以上、納税者たる立場において、国や地方公共団体の施策に対し、意見の表明その他の行動に出たとしても、これを禁圧すべき理由はない。のみならず、・・・会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。政治資金の寄附もまさにその自由の一環であり、会社によってそれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあったとしても、これを自然人たる国民による寄附と別異に扱うべき憲法上の要請があるものではない。
と判示しました。
つまり、
- 企業は、政治資金の寄附をする自由を持つ。
- その自由は、自然人たる国民の自由と別に扱う憲法上の要請はない。
と判断しました。
結論として、
企業による
政治資金の寄附が、選挙権の自由なる行使を直接に侵害するものとはなしがたい。・・・株式会社の政治資金の寄附はわが憲法に反するものではなく、したがって、そのような寄附が憲法に反することを前提として、民法90条に違反するという論旨は、その前提を欠く・・・
としました。
企業献金に法的問題はない!
結論として、企業が政党に献金をすることに法的な問題はないことになります。
では、何が問題なのでしょうか?
結局、企業献金の何が問題なのか?
企業献金の狙いは、
経済界の声を、さらに政策に反映させやすくする
点にあることは間違いありません(読売新聞2014年9月10日の社説)。
企業は営利を追求します。
その企業がわざわざ資金を寄附するわけですから、見返りとしてそれ以上の利益をもたらしてくれることをその政党に求めているはずです。
ただ、企業の利益だけを主張したのでは国民の賛同は得にくいでしょう。
ですので、ここでは、企業がもうかればGDPが増加し、国民も豊かになるという図式が前提として描かれているはずです。
GDPの増加は、すなわち日本国民全体の富の増加を意味するわけですから。
対して、朝日新聞では、
企業がもうかれば国民も豊かになる。そんな図式が崩れていることは、国民自信がよくわかっている。
と分析しています(朝日新聞2014年9月10日の社説)。
ということは、企業献金の問題は、企業が政党に献金することで
企業がもうかる
↓
国民の富の増加
という
因果関係があるかどうか、
あるいは、
その因果関係を創り出すことができるかどうか、
だと思います。
これらが可能だと判断すれば企業献金は賛成、
これらが不可能だと判断すれば企業献金は否定、
ということになりやすいだろうと思います(もっとも、因果関係がどうであれ、企業がもうかること自体が悪だ、という考えもあるかもしれませんが・・・)。