“民度”とは「従順性」?(竹田恒泰氏発言を巡って)
2020年4月11日
こんな内容です。
人民の生活や文化の程度
とある。
要は、生活レベルや文化レベルのことだ。
RIEには因果関係がわかりません…
日本の文化は、強制力が無くても政府のいうことを聞く風土
ということだろうな。
ということは、“民度”の低い国というのは、強制力が無いと政府のいうことを聞かない暴れん坊の国民がいる国のことになるんですね。
欧米とかは自己主張が強いですし。
従順性が高い日本は、他国に比べれば実質的には自由が少ない国とも言えるわけだ。
ただ、多くの日本人はお上の言うことに従順だ、その「従順性」が“民度”の高さなんだ、という議論だろうから、欧米と比べる基準が異なっている。
憲法が人権保障を最高の価値としているわけですから。
竹田さんのいう「従順性」を意味する“民度”は、憲法と相いれないんじゃないですか?
ん?というか、今日のRIEはやけに賢そうだが、どうした?
そもそも憲法は、「立憲主義」に基づく。
「立憲主義」というのは、「多様な価値観の公平な共存」を実現するための装置、つまり私的な価値観が公共空間に侵入することを防止するための装置なんだ。
法的規制が必要であれば、実害の有無や程度などを公共空間において検討して強制措置を含む法的規制を整備すればいい。それをしない限り、「要請」はあくまでも私的空間でのお願いにとどまる。私的空間でのお願いをもって他者の権利・自由を制限することは、まさに一方の私的価値観が他者の私的価値観を否定することに他ならない。
だから、「立憲主義」の考え方からは、法律で禁止されていない限りは何をしようと自由だ。自粛要請があっても、あくまでも「要請」で法的拘束力がないのだから、夜間、クラブを開業していても私的に文句を言われる筋合いすらないわけだ。
そういえば、百貨店が4月7日に当面の臨時休業(食料品フロアを含め)を相次ぎ発表したところ、経産省から
なんて勝手なことをしてくれるんだ
と非難されたそうですよ(朝日新聞DIGITAL 4/10)。
可哀そうに。せっかく社会や政府の意図を忖度したのに。
企業や個人に忖度をさせるやり方は日本では特に問題だ。
忖度は、上の者が責任を回避する手段として用いられてきたからな。
「そんな指示は出していません。現場が勝手に判断したんです。」
みたいな。
トップの心構えがなってないんじゃないですか?
日本だって、営業自粛要請という強制力のないお願いじゃなく、法律を整備して端的に営業禁止令を出せばいいでしょ?
営業の自由だって絶対的な保障ではないんですから。
RIEには意味が分かりません。
営業自粛を一生懸命に「要請」して、営業をさせない同調圧力を作り出すべく政府の意向に沿うような世論を形成しようとしてません?
賢そうだもん。
アルジャーノン?
意味わかりません。RIEはRIEです。
たしか、日本版のドラマもありました。
どうせいうなら、RIEはチャーリイ・ゴードンです。
アルジャーノンはネズミですから!
全然です。
同調圧力を作る出すのに政府が腐心しているんじゃないかって話です。
すまんすまん。面白くてつい。
さて、気を取り直して。
なぜ、政府が「要請」にとどめ、営業禁止令を出せる法律を作らないのか?
そういう法律を作ると、憲法上、「特別の犠牲」に対して政府は「正当な補償」(憲法29条3項)をしなくちゃならない(最大判昭和43年11月27日-河川附近地制限令事件-)。つまり、営業上の損失を政府は補償しないといけなくなるんだ。
だったら、補償をすればいいじゃないですか!
本当にウィルスの拡散を防ぎたいんだったら。
お金は生きていてこそなんですから。死んでしまっては意味がない。
そもそも、こういった人類存亡の危機にこそ国家の存在理由があるんじゃないですか?
それを、補償を免れるために自粛「要請」ですまし、代わりに給付金とか補助金とか助成金で安く済ませようとしているんですね。
一国民として今後国がどういった対策をしてくるのかをきちんと把握しておかないとな。
---終---
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